距離が埋まるまで 


 私には二つ年下の幼なじみがいる。年下のくせに生意気で何かと理由をつけては突っかかってくる嫌な奴。
 例えば小学生の時友達と皆でバレンタインにチョコレートを作ってクラスの男の子に配ろうとなった時。ローが私の作ったチョコレートを勝手に食べたせいで用意できなかった。友達はいいよと言ってくれたけれど一人だけ用意出来なかった悲しさは忘れられない。
 それから高校生の時。初めて好きな人が出来て顔を見て告白なんて恥ずかしいから手紙をしたためていたら横からそれを奪い取り無惨にも破り捨てられた。しかも無駄な努力はやめろとまで言ってきた。そりゃ女の子にモテまくっている人からすれば私なんて取るに足らないし、フラれて終わるのがオチだろうけどそんな言い方ってないじゃないか。
耐えきれず泣いた私をローはその後散々甘やかしてくれた。人気のパフェを食べに連れていってくれて、欲しかった服も買ってもらった。素直に嬉しい気持ちはあれどそもそも泣く原因を作ったのはローだ。慰めるくらいならほおっておいてというのは通じないらしい。
 他にもまだまだ沢山あるが兎にも角にも私は先述した理由からローが苦手だった。意地の悪いローと早く離れたかった。それなのに何故か大学まで一緒だったおかげでやっぱり大学生活もろくな目にあわなかった。
 最初は良かった。遠くの大学に進学したおかげで入学してからのローがいない二年は平和だった。やたらかかってくる電話を無視しても怒って乗り込んでくるローはいない。放課後待ち伏せてこちらの意志を確かめないまま連れ出されることもない。高校生までは男の子と話しているだけでローが圧をかけてきたせいでこっちが気まずい思いをしていたけど、もうそんな思いをする必要もない。バイトが遅くなってもネチネチと文句を言われることもない。バイトに関しては大学生の一人暮らしだと生活に直結するから文句を言われてもどうしようもない為心底ほっとしていた。
私は大学生にしてやっと手に入れた自由を謳歌していたのだ。
 ……三年目で悪夢に変わったけど。
 
 ローならもっと良い大学にいけたはずなのによりによって同じ大学、しかもマンションまで同じときた。本当は隣が良かったが、なんて言っていたけれど同じマンションなだけでこっちは悪夢再来に戦々恐々とした。
そもそも押されたインターホンに今どき引越しの挨拶なんて珍しいと警戒心の欠片もなく玄関を開けたのが間違いだったのだ。
再会するやいなや、もう二十歳になるってのに彼氏の一人も作れねェのかと煽ってきたから出来たし!! と反論したら酷い目にあったのだ。はァ? と年下とは思えない眼光で睨まれどこの誰か問い詰められて怖くて大学の先輩だと吐けば翌々日先輩から別れを告げられた。しかも人伝。共通の友達に聞いたところによるとローが先輩に私と二度と会うな連絡も取るなと脅したらしい。おかげで私はヤバいやつに目をつけられた可哀想な子認定されて大学でかろうじて女友達はいたものの男の子と接点が消えた。
 こんな事になるならローがいない二年の間に出来た彼氏とさっさとキスのひとつくらいすれば良かった。恥ずかしいのと付き合いたての雰囲気をゆっくり味わいたくてのんびりしていたせいでキスの経験すらないのが嫌になる。同年代の女の子達は皆経験済のため私だけ取り残された気分になるのだ。
 だから社会人になったら今度こそローと離れて悠々自適に暮らすぞと意気込んでいた。大学進学と同時に私が一人暮らししていた家を何故か把握し同じマンションにまで住み込んだローがしょっちゅう押しかけてくる中就職先を知られないよう根回しし、引っ越し先もバレないよう慎重に過ごしてきた。四月になったら私は自由だ。
 そんな私の儚い夢は夢で終わることになる。




「なんで……」

 社会人になりひと月ほど経ってまあ大変だけど会社の雰囲気には慣れてこれからもどんどん新しい仕事を覚えるぞと意気込み自宅に帰ったら玄関の前に以前にも増して隈が濃くなった凶悪な顔の幼なじみが座り込んでいるなんて誰も想像しないじゃないか。目眩がして思わず後ずさった。
 ローはまだ大学生。前の家からここまで多分片道三時間くらいかかる。それなのにどうしてここにローがいるんだ。

「早く入れろ、待ちくたびれた」
「知らないよそんなの! 勝手に待ってたのはそっちでしょ!?」

 開口一番失礼な物言いに反論したらひと睨みされて萎縮した。入れればいいんでしょ、入れれば。年下にビビる自分を情けなく思いながら震える手で鞄から鍵を取りだした。
 せっかく引っ越したのに。これからはローがいない環境で過ごせると思ったのに。夢なら早く覚めて欲しい。
 渋々部屋に通し、不遜な態度のローに珈琲を出す。不躾にも部屋をじろじろ見るローを横目に堅苦しいスーツのジャケットを脱いだ。本当は部屋着に着替えたいところだけどワンルームのためそうもいかない。本当に何故……と諦めの気持ちでローが占領するソファの斜め前のラグに座った。

「お前、何故嘘をついた」
「嘘って?」
「会社のことだ。なまえから聞いてた会社と違う所に就職しやがって。無駄に遠いから探し出すのに苦労したじゃねェか」
「別に探さなくていいじゃない」
「はァ?」

 威圧する態度に縮こまる。ローがソファ、私が床なせいで出来る高低差も手伝ってより威圧感が増す。ローがこっちに来いと指で私を呼び付けた。逆らうとろくな目に合わないのは学習済のため仕方なくローの横に座る。ソファの背もたれにローの長い腕が乗って、それが私の背中に微かに触れるものだから無意識に背筋を伸ばした。ローがわざとらしくため息をついた。

「……なに」
「なまえが遠いところに引っ越したせいで会いにくくなっただろうが。卒業まで四年あるんだぞ、どうしてくれる」
「知らないよそんなの。私がどこに行こうと勝手でしょ」
「おれに一言言うのが筋だろうが」
「なんの筋があるのよ、彼氏でもないくせに」

 珈琲に伸ばしていたローの手がピタリと止まる。私は良い機会だと自分用に淹れていた紅茶を口に流し込みローを力一杯睨んだ。

「ローはどうしていつも私の邪魔をするの? 彼氏の一人も作れねえのかとか馬鹿にしてきたけど邪魔してるのはローじゃない。もう私も社会人なの、彼氏くらい普通に作りたいの。ローがこんな風に会いに来てたら作れるものも作れないしほっといてよ!」

 一息にこれまで堪えてきた不満をぶつける。流石に怖くて気持ち程度ローから距離をとったけど。

「……そんなに彼氏が欲しいのか」
「そりゃ、私だってもう社会人だし」

 再度ため息をついてみせたローが私の頭を掴んだ。

「なまえはいつもおれを振り回すな」
「はあっ? 振り回してるのはそっちでしょ!」
「いいや、お前だ。おれの計画じゃもう少し先の予定だったんだ」
「何が!?」

 頭を掴んだローの手が首裏に回る。くすぐったさに身をよじるとローの顔が近づいてきた。唇に吐息がかかり目を見開くと「色気がねェ」と詰られた。

「なにそれ、意味わかんないんだけど!?」
「目瞑れっつってんだ」
「なんでよ」

 この状況で目を瞑ったらまるでキスをするみたいじゃないか。ローと? ありえない。だってローは私の幼なじみで、いつも私の邪魔をする嫌な奴で、キスなんてする間柄じゃない。
 目を瞑らない私に業を煮やしたのか顔が再び近づいてきて咄嗟に間に手のひらを挟みキスを阻止する。手のひらにローの唇の感触がする。生々しい。

「手どけろ」
「やだよ、何する気?」
「キスに決まってんだろ」
「だからなんで!?」

 逃げようにも私の後ろにローの手が回っているため叶わない。とにかく頭はパニックでローに疑問をぶつけた。

「お前おれのことガキとしか思ってねェだろ」
「そりゃ、年下だし……」
「おれからすりゃ年下だの年上だのくだらねェが、お前がそういう態度な以上おれが医者になるまでは何も言うつもりはなかった」
「だから、さっきから何の話なのよ」
「お互い社会人になりゃ、年なんて益々意味もねェだろ?」
「話聞く気ないよね……」

 こちらの疑問は無視して好き勝手話を続けるローに嫌気がさす。昔からそうなんだ、この横暴な年下の幼なじみは。だから黙って距離をとったというのに。

「なまえと付き合うのはお互い社会人になってからにするつもりだった」
「…………は?」
「それなのになまえはおれの許可もなしに遠くに行きやがって。遠恋とか出来るタイプじゃねェだろうが」

 まだローはグチグチと文句を垂れていたけれどもう耳に入らない。誰と誰が付き合うって? 遠恋?

「私、ローと付き合わないけど……」
「理由は」
「私もっと優しい人が好きだし」
「優しいの定義は」
「え、えっと休みの日は買い物に付き合ってくれたり……」
「付き合ってやったことあるだろ」
「誕生日にはディナーに連れて行ってくれたり」
「行ったことあるだろ」
「……辛い時は慰めてくれたり」
「お前が落ち込んでる時ケーキ買ってやったろ。お前の要領を得ない話もずっと聞いてやってた」
「…………優しい人は無理にキス迫ったりしないもん」
「じゃあどんなキスがいいんだよ」

 どんなって。問われて今まで読んだ少女漫画のシーンを思い浮かべる。誰かさんのせいで恋愛経験のない私には参考材料になるものは少女漫画くらいしかない。
 
「……放課後の教室とか」
「卒業してんだろうが」
「部屋で二人きりで……」
「今だな」
「ちがっ、違くて、えっと、そう! もっとロマンチックなやつ! あー、浜辺で夕日が沈む中とか!!」

 ぐっと体重をこちらにかけてきたローに焦りながら口にした理想のキスシーンはローにベタだなの一言で一蹴された。自分でもそう思う。元はと言えばローが意味が分からないことを言うせいなのに。

「ていうか、ローが付き合うとか意味わかんないこというからじゃん」
「分かんなくねェだろ。こっちは小学生の時からそのつもりだった」

 予想だにしていなかったカミングアウトに目を丸くする。さっきから驚きっぱなしだ。どうしてこうなった。
 そっと腰をおろす形でソファから滑り落ちローから逃れようとする。抵抗虚しくすぐに腕を引っ張られ逆に距離が縮まった。両手を捕まれ向き合う形にされる。痛くはないものの決して逃げられないくらいの強さに困惑が深まっていく。

「ローがわかんない」
「何が」
「急に付き合うとか……」
「だから急でもなんでもねェだろ。おれはずっとお前が好きだったんだ」
「……え」

 好きと言ったから良しと思ったのか固まる私に痺れをきらしたのかは定かでは無いがローの顔がまた近づいてきて混乱した私は頭突きをかました。頭がクラクラする。

「ってえな」
「いや初耳だけど!?」
「あァ? 気づくだろうが普通」

 あんなに構ってやっただろ、と何やらキレてくるが怒りたいのはこっちだ。いつもいつも突っかかってきて私の邪魔をする嫌な奴でしかなかっただろう。
 そりゃローといて嫌な事しかなかったわけじゃない。受験で心が折れそうになってる私に勉強を教えてくれたり(年下に教わるなんてという悔しさはあったけど)人混みが嫌いなくせに私が見たいと言ったクリスマスのイルミネーションを見に連れて行ってくれたこともあった。一人暮らしをして初めて高熱が出て心細さに泣いていたら駆けつけて回復するまで傍にいてくれたのもローだった。
 だとしても私にしてきた意地悪が帳消しにされるわけでもなく、依然として私はローが苦手だった。基本優しい人という認識はあれど何が引き金になるのか、時折みせる意地の悪さに機嫌を伺ってばかりでそんな自分に疲れていた。
 だから百歩譲ってローが私を好きだとしても私がローを好きになれる未来が想像できない。その時点で付き合うなんて無い話なのだ。その思いの丈をぶつけるとローが眉間に皺を寄せた。

「分かったよ」

 存外素直に頷くローに分かればいいのだと年上の余裕で許してあげようとする。まずはこの手を離してもらい、速やかに帰っていただきたい。

「要するに惚れさせりゃあいいんだろ?」
「……はい?」

 どうにかキスは諦めてくれたらしいローが今週末は空けておけと言い残して出て行くのを呆然と見送る。まだ状況が読み込めないというのに、携帯にはローから念を押すように空けておかなかったらどうなるか分かってんだろうなと半ば脅しのメッセージが届いていた。
 想定外の方向に決意を固めたらしいローからの猛アタックに私が折れるまで、後……。


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